ホームズも夢中? ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
ヴィクトリア朝の英国で起った空前の植物ブーム。中産階級以上の人々は鉢植えやガラスケースに入った観葉植物を大切に育てました。植物ブームを支えたウォードの箱などの歴史的考察。

Sherlock Holmes: MRS. HUDSON! How dare you take my Aspidistra!
Mrs. Hudson:“I DO dare!

ホームズ:ハドソン夫人! 僕の鉢を動かす気かね!?
ハドソン夫人:ご明察です

“The Cardboard Box” The Adventures of Sherlock Holmes
『ボール箱』 シャーロック・ホームズの冒険

観葉植物を愛するホームズ

グラナダ版ドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』の『ボール箱』の冒頭にこんなシーンがあります。ハドソン夫人が観葉植物のaspidistra(ハラン)を片付けようとすると、大慌てでホームズが叫びます。(05:10あたり)

あら?『緋色の研究』ではホームズは毒草には詳しくとも園芸には興味がない──なんて書かれていましたよね。でもホームズでさえハマってしまうほど、当時の英国の人々は観葉植物を愛していたのだなあと分かるシーンです。

逃げるときには植物をかついで

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱

『ヴィクトリアン・アンデッド シャーロック・ホームズ VS.ゾンビ』P92

またこれは以前ご紹介した『ヴィクトリアン・アンデッド シャーロック・ホームズ VS.ゾンビ』。ふざけたタイトルですが、意外にも時代考証がしっかりしているパロディ作品です。この一シーンにゾンビの来襲から221Bの一行が逃げる場面で、ハドソン夫人が両腕に植物の鉢をかかえています。

シャーロック・ホームズの敵はゾンビ!?『ヴィクトリアン・アンデッド』
様々な敵と闘い世界を救ってきた名探偵ホームズ。しかしシャーロキアンの想像の斜め上を行く新たな敵が現れた。それはゾンビ! はたしてホームズは英国を救うことができるのか!?

お金でも宝石でもなく植物が大事? と不思議に思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも当時の文化を知るマニアににとってはニヤリとさせられるコマです。

プラントハンターとは何か?

プラントハンターとは、17世紀から18世紀にヨーロッパに生まれた新しい職業です。イギリスやオランダなどから、新大陸アメリカやアジアへと遠い国々の新植物を求めて旅した冒険家です。プラント(植物)+ハンター(狩猟者)ですね。実は日本にもたくさんのプラントハンターが来ているんですよ。

世界で活躍したプラントハンター

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
プラントハンターは最初は王侯貴族のために珍しい植物を集めていましたが、産業革命後に中産階級の人々が財力を持つようになると植物ブームが加熱。彼らの要求に応えるために世界各国を訪れて植物採集をしました。

医師・ナサニエル・バグショー・ウォードの実験

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
けれども当時の交通手段は船です。海の上ですから水も不足したり、長い航海の間に塩水をかぶったりして多くの植物が本国に到着する前に枯れてしまいました。

そんな問題を解決したのが、英国ロンドンの開業医・ナサニエル・バグショー・ウォード(Nathaniel Bagshaw Ward 1791〜1868)です。彼はアマチュア植物学者という一面もあり、イギリスからオーストラリアへ向かう船の甲板に、シダを植え込んだガラス張りの箱を設置する実験を行いました。

ウォードの箱(ウォーディアンケース)の誕生

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
ガラス箱の中は潮風や海水を浴びることもなく多湿環境に保たれていました。ガラス箱は半年後の航海中に一度も蓋を開けられなかったにもかかわらず、シダは枯れることもなく無事に到着しました。これが植物輸送に革命をもたらした「ウォードの箱(ウォーディアンケースWardian case)」です。

当時ロンドンの大気汚染によって庭園の植物が頻繁に枯れていたが、ウォードは蛾の繭を保管していたボトルの中の植物が無事であることに着目して、ウォードの箱を発明した。『On the Growth of Plants in Closely Glazed Cases』(1842)

ロンドン市民の間で観葉植物ブームに

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
ウォードの箱の発明によって、プラントハンターが集めた珍奇植物が比較的安価に、大量に出回るようになりました。ちょうどヴィクトリア朝の中産階級が豊かになった時期と重なって、空前の園芸ブームに。特にシダやコケ類などの観葉植物を部屋の中に飾るのが市民の間で大流行しました。

ロンドンの大気汚染から植物をまもる役割

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
当時のロンドンは産業の発達によって常にスモッグが空を覆っている状態でしたので汚れた空気から貴重な植物をまもるためにガラス箱を鉢として使用したのです。また土が外にこぼれることがないので、室内を汚すことなく植物を育てることができました。

ウォードの箱は熱帯植物に適した環境

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
ガラス箱の中では蒸発した水がガラス板について再び液体化し植物に降り注ぐという水の循環が起こります。それほど頻繁に水やりをする必要がない上に、熱帯の植物にとっては最適な環境です。かくしてヴィクトリア朝の意識高い系の人々の間で、室内園芸が大流行したというわけです。

私もテラリウムの愛好者です

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
ウォードの箱はその後テラリウムと呼ばれるようになりました。現在もテラリウムの愛好家が世界中にたくさんいますね。私もその一人。ヴィクトリア朝の人々がガラス箱のシダやコケを愛したように、私も毎日テラリウムの植物を慈しんでいます。

ガラス箱園芸は<庭>の一つの極限の姿

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
楽園のイングランド パラダイスのパラダイム』(川崎 寿彦)の中で著者がウォードの箱についてこのように述べています。

もし<庭>が人工によって自然を捕捉し、縮小して飼育する手段であるとすれば、この種のガラス箱園芸は<庭>の一つの極限の姿を表していたかもしれない──ヴェルサイユ等の整形大庭園や、ブラウンの自然風大庭園が、もう一方の極限を表していたように。

『楽園のイングランド パラダイスのパラダイム』(川崎 寿彦)

19世紀英国の人々の「楽園への憧憬」

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
ウォードの箱(テラリウム)は、人が自然を手の内にできる究極の形なのです。そして19世紀ロンドンの人々が切望した「楽園への憧憬」の表れだったのでしょう。大気汚染や人混みに疲れ切ったヴィクトリア朝の人々が、家に帰って植物に慰められた気持ちは、現代の人々にも十分に理解できるのではないでしょうか。

あなたも室内で植物を育ててみませんか?

ヴィクトリア朝の植物ブームとウォードの箱
かのシャーロック・ホームズ氏も事件が難航している時には、ふと室内の植物に目をとめて休息していたのかもしれませんね。あなたも部屋で植物を育ててみませんか? 植物には人の疲れを癒やしてくれる力がありますよ。【蒸気夫人(マダムスチーム)】

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参考文献

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