19世紀の世界一周旅行とは? 『80デイズ』と『八十日間世界一周』

80デイズ
地球は小さくなった。いまや100年前の10倍の速さで、地球を一周することができるのです──SF三巨匠の1人、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』の中の言葉です。

19世紀のイギリス。天才発明家フォッグ氏は英国科学アカデミーのケルヴィン卿と、80日間で世界を一周できるかどうか賭をします。フォッグ氏が80日で見事地球を一周したら科学大臣になれますが、賭けに敗れたら生き甲斐である発明が二度とできなくなってしまいます。

召使い兼助手のパスパルトゥーとともに世界各国を旅するフォッグ氏。けれども各地で様々な事件に巻き込まれ予定通りにはいきません。さて、賭けに勝つのはどっちだ!?──

映画『80デイズ(Around The World In 80 Days)』

2004年制作のディズニー映画『80デイズ(Around The World In 80 Days)』は、ヴェルヌの『八十日間世界一周』の映画化作品であり、『八十日間世界一周(1956)』のリメイク版です。『八十日間世界一周』は『80デイズ』だけでなく、何度も映画化、ドラマ化、アニメ化されています。

フォッグ氏のキャラクターの違い

原作と映画はほぼ同じストーリーなのですが、登場人物のキャラクタや寄港地での出来事が違っています。例えばフォッグ氏は原作と映画ではこんな違いがありますよ。

原作:口ひげとあごひげをはやしたバイロン似の紳士。冷静沈着、無口で謎めいた人物。相当な資産家であるにもかかわらず一切浪費はしない。毎日、一分一秒の狂いもなくスケジュール通りに生活する変人。

映画:マッドサイエンティスト気味の発明家。かなり多弁でおっちょこちょいな面も。向こう見ずな性格によって、無謀な賭けにのってしまう。

召使・パスパルトゥーのキャラクターの違い

原作:「パスパルトゥー」とは「マスターキー」「どこでも通用する万能の者」の意味。旅回りの歌い手、サーカスの曲馬師、ブランコ乗り、ダンサー、体育の教師、消防士、召使いなど様々な職業についていたフランス人。

映画:故郷から盗み出された仏像を取り返す使命を負った中国人。中国人とフランス人のハーフだと言い張り、フォッグ氏の召使いとなる。カンフーの達人。

スチームパンクな屋敷を堪能

原作と違って『80デイズ』のフォッグ氏はマッドな発明家なので、スチームパンクな邸宅や発明品を堪能できますよ。真鍮や歯車、ぜんまいじかけの見事な屋敷です。時速80キロの壁を破るための蒸気噴射機(?)、ラストに登場するマシンは、まるでディズニーランドのライドみたい!

ファンタジックな世界各国の描写

登場するロンドン、フランス、トルコ、インド、中国──はカラフルな原色で描かれ、まるで「イッツ・ア・スモール・ワールド」のようなおとぎの国。子どもが空想する外国の風景そのまま。とても美しいです。こんなの全然リアルじゃないって現地の人が文句をつけるのはヤボかもしれません。

世界各国で撮影した豪華ディズニー映画

いつもなんだかんだ映画に文句をつけていのですが今回感想が甘々なのは3つ理由があります。一つ目はディズニー映画だから。ファミリー映画だし、小難しい理屈は今回はなし。

二つ目は、実際に10カ国でロケをしたこと。ハリウッドから一歩も出ずに全部CGという映画も多いですが、現地ロケによって異国情緒溢れる作りになっています。

ジャッキーチェンがパスパルトゥー役で出演!

そして最大の理由が三つ目。ジャッキー・チェンがパスパルトゥー役で出てるから! 撮影時彼は50歳ですが、アクションは健在。椅子で戦わせたら世界一のお約束アクションもありますよ。

でもウィキペディアによると

『ラッシュアワー』シリーズや『シャンハイ・ヌーン』シリーズで念願の全米進出と全米制覇を達成したジャッキーだが、本作の出来には不満で「リメイク作品はもうこりごり」という発言をしており、後に『ピンクパンサー』の出演依頼が来た時にはその依頼を断っている。ちなみにその時ジャッキーの代わりに演じたのはジャン・レノ。

80デイズ – Wikipedia

とのこと。アーノルド・シュワルツェネッガーサモ・ハン・キンポーがものすごく無駄にカメオ出演しているのも見どころです。

原作を読んでくれると良いなあ

映画通の大人にとっては、深く何かを考えさせられることもなく、魂が震えるような感動もなく、予想外の驚愕のエンディングもない。でも見終わった後、とても楽しい気持ちになれる映画です。この映画を見た子どもが原作の『八十日間世界一周』を手に取ってくれると嬉しいですね。

当時の人にとって世界一周とは?

ところで「80日で世界を一周することについて」。これ現代の我々にとっては「3カ月近くもかけて一周なんて優雅でのんびりしてるなあ」というイメージですよね。でも原作では現地観光を楽しむ時間を全くとらず、鉄道・客船を飛び乗り、飛び降り、乗り継ぎギリギリの計算が80日なんですよ。もうホント、ただ一周するだけ。それでも80日かかったんです。(※)

もちろん列車や客船を乗り継ぐだけの旅では面白くない。物語としてあちこちでアクシデントが発生し、事件に巻き込まれ、フォッグ氏とパスパルトゥーは冒険につぐ冒険を繰り広げることになる。それが物語としても、旅としても楽しいものになっている。

冒頭に「地球は小さくなった。いまや100年前の10倍の速さで、地球を一周することができるのです」と書きましたね。1873年に書かれた『八十日間世界一周』の約100年後、現在ではF-15などの戦闘機だったら最速15時間を切るぐらいで地球一周できるんじゃないでしょうか。10倍どころじゃありませんね。

実際当時は何日かかったのか?

では19世紀当時、世界一周はどのくらい時間がかかったのでしょうか? 世界で初めての旅行代理店を作り、団体ツアー・パックツアーを企画したのはトマス・クック(1808~1892)です。彼は1872年に世界一周団体観光ツアーを実施しました。これは世界一周2万5千マイルを220日かけて踏破するという前代未聞の大ツアーです。

クックが世界一周しているちょうどその時に、ヴェルヌが『八十日間世界一周』を連載しているのですから、当然このツアーが元ネタになっているんでしょう。当時220日かかった世界一周を80日で達成。『八十日間世界一周』が当時の人に与えた衝撃は、現在の感覚でいうと「数時間で地球を一周する」ぐらいの荒唐無稽さと思えば良いのではないでしょうか。(※)

この旅を1888年に実際にやってみた人が女性ジャーナリストのネリー・ブライ(1864~1922)。彼女はニューヨーク・ワールド紙の取材記者としてこの企画に挑戦し、72日と6時間11分14秒で世界一周を成し遂げた。フォッグ氏と違い、費用新聞社持ちで自腹ではないが、この記録に最初に挑戦したのが女性であるということが個人的にに嬉しい。

ヴァーチャルな世界一周を楽しんだ19世紀の人々

私たちが今日、テレビや映画、雑誌、ネットなどで世界の様々な国々をバーチャルに旅行できるのと同じように、19世紀後半のヨーロッパでもバーチャルな世界旅行が大流行しました。

旅行雑誌『世界一周』の発行(1860)、世界各国の風景を展示したロンドン万博(第1回・1851)パリ万博(第4回・1889)、人々が世界に目を向けるエポックメイキングな出来事が次々と起こったからです。それらが刺激となり、実際にクックの旅行代理店で世界を旅した人もたくさんいました。

パリ万博には日本もパビリオンを出展

1867年のパリ万博からは日本もパビリオンを出展しています。長年鎖国をしていた日本はまるで「文化のガラパゴス島」。ヨーロッパの人々の目にはさぞ新奇に写ったことでしょう。万博での優美な芸子さんの踊り、摩訶不思議な建築物はヨーロッパの人々を魅了しました。

ヴェルヌの『八十日間世界一周』では、フォッグ氏一行は横浜にも立ち寄っているんですよ。きっとヴェルヌも「日本って面白そうな国だなあ」と胸をときめかせたんでしょうね。『80デイズ』で一つだけ文句を言うとすれば、原作通り不思議の国・ニッポンにも来て欲しかった!ってことかな。【蒸気夫人(マダムスチーム)】

追記

読者のはるきさんよりご指摘いただきました。ありがとうございます!

当時の世界一周に要した時間についてですが、1860年前後の初代駐日公使のオールコックがイギリスとの外交文書のやり取りに、平均で片道2ヶ月ぐらいかかっていたといいます。

このころロンドンから上海あたりまではすでに定期便が運行していたようですが、日本は西洋における最後の未開の地だったので、オールコックが着任したころには、正式な定期便も無かったそうです。商船を利用して本国とやり取りをしていたようです。

1860年に日本から初めて派遣された遣外使節である遣米使節団が、品川を出航してからサンフランシスコに到着するまで、大体1ヶ月ほどかかっての航海だったそうなので、それだけあわせても、約3ヶ月もかかる道のりだったようですから、大西洋も渡ってロンドンに帰港するには、普通に移動して100~130日間位かかるものだったのではと思います。でもこれもただ移動するだけ、休む暇も無い様な旅です。季節にも左右されるような時代なので。

はるきさんからの手紙

なるほど観光無しで休む間もなく移動するだけの世界一周だと100~130日ぐらいか──。確かにクックの旅行でこんなハードスケジュールだと、申し込む人いなくなっちゃいますよね。当時の旅行というのは、「冒険」なんだなあと改めて感じました。

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