2010年は1610年(慶長15年)の名古屋城築城から400年です。10月16日に名古屋市の清須越(きよすごし)・夢歩きというイベントにアビエイターの扮装で参加しました。
提灯を片手に歩くウォークイベント
清須越・夢歩きは夕闇の美濃路を提灯を片手に歩くウォークイベントです。清須と名古屋を結ぶ美濃路を舞台に、約1000名の参加者が400年前の清須越に思いを馳せ、名古屋城まで練り歩くという仮装行列。上の写真で私と一緒に写っているのは名古屋城のゆるキャラはち丸と清洲城のきよ丸とうるるんです。
名古屋おもてなし武将隊も出陣
清須越・夢歩きのプレイベントで、10月10日(日)清須越夢歩き仮装 ファッションショーが行われました。私の旦那様は明治時代のマッドサイエンティスト・飛行機械の発明者として、私は博士の助手・飛行機械のテストパイロットとして参加。名古屋で大人気のイケメン武将軍団名古屋おもてなし武将隊も出陣してました。
清洲越・街歩きの当日
さてファッションショーから一週間後の清須越・夢歩き本番の日がやってきました。さわやかな青空広がる快晴。ここは名古屋城の北西の愛知県清須市です。奥に見えるのが清洲城。
徳川家第22代当主と歩く
画面中央のスーツの男性は尾張徳川家第22代当主で徳川美術館館長の徳川義崇さんです。背が高く恰幅が良い方で、なんとなく徳川家康っぽい威厳があります。徳川さんを先頭に、仮装に身を包んだ我々一同が名古屋城目指して8キロの道のりを歩きます。
400年前の一大引越し
そもそも清洲越しとはなにかというと、清洲城から名古屋城への遷城の際に、藩主を始め尾張藩が一斉転居したことなのです。仮装の方々は、武将、アニメキャラ、振袖姿──などバラバラですが、カラフルで目立つからか対向車はスピードを落とし、道行く人々が手を降ってくれました。
枇杷島公園で出陣式
午後4時。途中の西区枇杷島公園で、一般参加の1000名と合流。おもてなし武将隊の出陣式に参加しました。夕ぐれの公園内は仮装した人でごった返しています。ここからは1000人が提灯を手に名古屋城を目指しますよ。
参加者と立ち話
こちらのお二人とは清洲城から一緒に歩きました。背の高い草履に振袖で、延々アスファルトの道路を歩くのは大変だったのではないでしょうか。しばらく待ち時間があったので他の参加者と立ち話。私がおかしな格好をしているからか、いろんな人に声をかけてもらえました。
荒俣宏先生も参加!
ところで私がこのイベントに参加した一番の理由が、あの荒俣宏大先生が名古屋開封400年記念事業実行委員会ゼネラルプロデューサーに就任していらっしゃるからなのです。ちょんまげはっぴ姿の河村名古屋市長と徳川義崇氏に挟まれているのが荒俣御大。わあ、生荒俣先生だ!
見物客と仮装参加者渾然一体
そして名古屋城まで残りの2.5キロをこの1000人以上の仮装集団で歩きます。美濃路道中では、沿道の商店街のみなさんがお菓子や雑貨など手渡してくださいました。途中神社の山車の太鼓や大正琴の演奏もあり、道路は見物客でいっぱい。仮装の我々と一緒になって盛り上がりましたよ。
名古屋城開門でゴール
ゴールの名古屋城につきました。おもてなし武将隊の織田信長公の開門宣言でいっせいにほら貝が響き渡り正門が開きました。これにて清洲越し・夢歩き終了! お昼からずっと歩きっぱなし、立ちっぱなしでしたが、満足感と充実感でいっぱいでした。
スチームパンク広報活動も
清洲越し・夢歩きは今回限りの限定イベントだったのですが、毎年行われても良いぐらいの大成功でしたね。あちこちで「この仮装なんですか?」「この機械は?」とたずねられて「明治時代の飛行士です」「スチームパンクっていうんです」とスチームパンク広報活動もできました。【蒸気夫人(マダムスチーム)】
追記:2010/11/17
実行委員会の方に写真を送ってもらいました。ありがとうございました。こんな感じのステージでしたよ。旦那様にも感謝です。