
日本で最初のロボット・人造人間の名は「學天則(学天則)」。1928(昭和3)年に、科学者・西村真琴博士によって作られました。空気圧によって表情を変える人間味のあるロボットです。
人造人間は科学と芸術の交流によつて成り出ねばならない
西村真琴博士の活躍

西村真琴博士は1883(明治16)年、長野県松本市に生まれました。広島師範学校を卒業後、中国大陸へわたり校長先生として教育の仕事のかたわら、生物調査研究に明け暮れました。その後アメリカへ留学して生物学を究め、北海道大学の教授になりました。東京大学から理学博士を授与されたこともあり、生物学者として成功を収めた人物です。
西村真琴博士の活躍

その後1927年に大阪毎日新聞社に入社した西村博士は、京都で開かれた昭和天皇御大礼記念博覧会に、日本最初の、いえ東洋でも初であるロボット・學天則を出品。日本中の人々の度肝を抜きました。
人間らしいロボット

高さ約3.5m、幅約3m。頭の上の告暁鳥という機械仕掛けの鳥が鳴くと學天則は瞑想しはじめます。そして霊感灯というライトが光ってペンで文字を書きました。
「天則(自然)に学ぶ」から名前をとっているだけあって、學天則は自然や人間らしさを表現することを目的としていました。表面には血管のように空気のチューブが張り巡らせてあり、空気の圧力でピストンを動かすことで表情を豊かに変えることができました。
あらゆる人種の特徴を詰め込んだ顔

學天則はある特定の人種の顔ではなく、あらゆる人種から、顔のパーツを組み合わせてデザインされています。額と目がヨーロッパ人、ほおと耳がアジア人、鼻と口がアフリカ人、髪型がインディアンの羽飾りを表しています。黄金に光り輝く學天則は、公開された時、その神々しさに思わず人々がおがんでしまったというエピソードもあるんですよ。
哲学があるロボット

西村博士は學天則に「世界の平和」「人類の友好」「科学の暴走の危険性」「芸術と科学の融合」など様々なメッセージを込めました。性別も、人種も、国籍もないロボットを作ることで、人類に警告を発したのです。學天則は単に最先端の技術を詰め込んだだけではなく哲学のあるロボットでした。
早すぎた天才

しかしながら學天則は見世物的に受け入れられただけだったようです。広島市の昭和産業博覧会(1929年)や朝鮮博覧会(1929年)などに出品されたものの學天則の技術を活かした工業には発展しませんでした。残念ながら西村博士の想いは大衆に正確には伝わっていなかったようです。彼は早すぎた天才だったのですね。
2008年に動く學天則を復元!
學天則は、ドイツへ渡った後行方不明になってしまいましたが、1992年に大阪市立科学館よって動かないレプリカが制作されました。そして2008年には大阪市立科学館の学芸員と制作業者が協力して実物大の動く學天則が完成しました。ぜひその動きを動画でみてください。コンピュータ制御されたエアシリンダーで、当時の學天則よりもさらに精巧な動きになっていますよ。
『帝都物語』で帝都・東京を守るために戦う學天則
荒俣宏原作の映画『帝都物語』には、西村博士の役を西村晃氏が演じて、ロボット學天則と共に出演していますよ。実は時代劇ドラマ『水戸黄門』の黄門さまの役で有名な俳優の故・西村晃氏のお父さんは、西村真琴博士なのです。帝都・東京を守るために命をかけて戦う學天則にきっと心が熱くなるに違いありません。
ロボット大国になったけど……

現代でこそ、AIBOやASIMOなど、「人間の友としてのロボット」が研究されていますが、約90年も前に學天則のようなコンセプトでロボット開発をした人がいるというのはまったく驚きです。
現在日本はロボット大国になりましたが、西村博士の夢見た世界平和に貢献できているでしょうか? 近い将来に學天則の哲学を持つ、人間そのもののロボットが完成することを願ってやみません。【蒸気夫人(マダムスチーム)】
※この記事は以下の私の過去サイトより転載しました。




