19世紀末〜20世紀初頭のアート&デザイン史を学んでみませんか。とりあえず覚えるのはたったの3ワードだけ。アーツ・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォー、ジャポニズムです。
スチームパンクで大切にしていること
歴史改変SFとしてのスチームパンクで大切なこと──私は「上手に嘘をつくこと」だと考えます。では上手な嘘とは何でしょうか? 上手な嘘は大半の真実に、適量の嘘を紛れ込ませたものです。19世紀末〜20世紀初頭の歴史的事件、科学、文化、芸術、風俗に、適度な空想を混ぜ込めばあら不思議、センス・オブ・ワンダーあふれるスチームパンクのできあがりです。
アイデアのつくり方
例えばのお話。「日本に来たこともない、日本人と会ったこともない、日本のことをまるで知らない」人に、日本を舞台にしたSFを考えてみて──と言ってみても全くアイデアは湧いてこないでしょう。アイデアとはすでにある知識が自分の脳の中で融合してできた、新たな組み合わせに過ぎないのです。
劣化コピーは悲しすぎる
もし全く知識なしでスチームパンクをやろうとすると、誰かがやっているスチームパンクの劣化コピーになってしまいます。知識がゼロではアイデアなど湧いてきません。まずは既存の情報や知識を持ち、そこに自分のオリジナルの解釈や空想を追加すること、制限の中でどれだけ上手い嘘がつけるかがスチームパンクの醍醐味と言えましょう。
なぜデザインが大切なのか
今回のテーマはデザイン。なぜデザインが大切なのでしょうか? それはある時代のインテリアやファッション、商品は必ずその時代の最先端のデザインの影響を受けるからです。
例えばiPhoneを代表とするApple社の製品を思い浮かべてみてください。出来る限り単純に、極限まで削ぎ落としたシンプルなデザインですね。
Apple社だけではありません。白を貴重にしたインテリアや、装飾を限りなく少なくしたブラックドレスは1960年代からのミニマリズム(色や形を極限まで切り詰めるデザイン)や1980年代から流行し始めたノーデザイン(デザインしたように見せないデザイン)の流れの末に生まれました。デザインには必ず歴史的流れがあります。
遠い未来の人間が現代をリアルに空想するには
遠い未来の人間が「リアルな2010年代の機械」を空想するためには、おそらくシンプルデザインを最初に勉強するでしょう。それと同じように数百年後の私たちが、19世紀末のリアルなスチームパンクメカを想像するためには、当時流行したデザインを学ぶ必要があります。でなければ全くのデタラメのものしかできず、良いスチームパンクの嘘がつけません。
覚えるのはたった3つのキーワード
とは言え、そのために何十冊と本を読んだり、デザインの学校に通ったり──というのはなかなかできません。そこでこの記事ではデザインについて学ぶ取っ掛かりとして、3つだけ重要なキーワードをご紹介します。とりあえずはこの3つを頭に入れておけば大丈夫です。
【キーワード1】アーツ・アンド・クラフツ運動
最初は19世紀後半に英国で生まれた「アーツ・アンド・クラフツ運動」です。世界に先駆けて産業革命が起った英国では、安価な商品が機械によって大量生産されました。けれどもそれらは画一的で粗悪な品物ばかりでした。
評論家・ジョン・ラスキンと詩人・デザイナーのウィリアム・モリスは、古き良き時代の芸術的な手仕事を復活させ、食器、家具、衣服などに美をとりもどすための運動を起こしました。それがアーツ・アンド・クラフツ運動です。
ウィリアム・モリスの壁紙
ウィリアム・モリスが設立したモリス・マーシャル・フォークナー商会は、デザインを全面に押し出した世界初のデザイン事務所です。インテリアや家具、食器など様々な美しい製品を生み出しました。
一番有名なものは壁紙でしょう。草花を装飾的に配置し、無限に繰り返すパターンワークはモリスのデザインの特徴です。モリスは各地で講演したり、古建築保存協会を設立するなど、ヴィクトリア朝の人々に「生活に美を取り入れる大切さ」を説きました。
【キーワード2】アール・ヌーヴォー
アーツ・アンド・クラフツはその後のヨーロッパの美術運動に大きな影響を与えました。フランスのベル・エポック、ドイツのユーゲントシュティールなど、欧州各国で独自のデザインが生まれたのです。中でも最も大きく流行したのが「アール・ヌーヴォー」です。これがふたつ目のキーワード。
アール・ヌーヴォーとは「新しい(Nouveau)、芸術(Art)」という意味のフランス語であり、1895年にパリにオープンした美術品店・メゾン・ド・ラール・ヌーヴォーの店名でもあります。パリの地下鉄の入り口であるエクトール・ギマールは典型的なアール・ヌーヴォー建築です。
ルネ・ラリックの宝飾作品
アール・ヌーヴォーのデザインは植物や昆虫を元にした有機的な曲線、やわらかでうねるような女性の髪や体など、産業革命による粗悪な大量生産品からの反動とも言える特徴があります。
最も有名なアール・ヌーヴォーの芸術家を2人だけあげるとしたら、一人はガラス工芸家・宝飾デザイナーのルネ・ラリック。蝶やトンボからインスパイアされた宝飾作品は現代でも高値で取引されています。
アルフォンス・ミュシャのポスター芸術
もう一人はチェコスロバキアの画家・アルフォンス・ミュシャです。豊かな髪はまるで生きもののようにうねり、体にまとわりつくドレスは女性美を最大限に引き出しています。
この時代はポスター芸術の黄金時代とも呼ばれ、ポスター専門作家がたくさん活躍しました。かつて芸術は大変高価で貴族や王族だけのものでしたが、アール・ヌーヴォーとポスター芸術が花開いたことで、一般庶民にもアートが浸透したのです。
蒸気社製品はアール・ヌーヴォーデザインです
余談ですが、私の空想のガジェットメーカー・蒸気社の商品は、表面全体を覆い尽くすように曲線的な草花の金模様で装飾しています。これは「もし私がスチームパンク時代の会社オーナーだとしたら、きっと当時最先端のアール・ヌーヴォーのデザインを製品に採用するだろう」と思ったからです。
【キーワード3】ジャポニズム
さて、先ほどのミュシャのポスターをご覧になって気づかれたことはありますか? 太い輪郭で描かれた線画に、平面的な彩色がされています。これは伝統的な欧州の油絵の技法とは全く異なっています。その理由が3番目のキーワード「ジャポニズム」です。ジャポニズムは19世紀後半にアール・ヌーヴォーと相まって大流行した、日本美術ブームのことです。
ミュシャ、マネ、モネ、ゴッホのジャポニズム
日本が開国すると浮世絵や日本の工芸品が海外に大量に輸出されました。それまでヨーロッパの人々が見たこともない全く新しい技術や表現は、最先端のアートに敏感な芸術家たちの注目を集めました。
ミュシャの独特の絵画表現は、浮世絵のダイナミックな構図や色彩から影響を受けています。ミュシャだけではありません。マネ、モネ、ゴッホといった印象派の画家もジャポニズムを絵画に取り入れています。
日本芸術が西洋文化において再評価される
西洋美術とは全く異なる進化をした日本趣味・ジャポニズムは、懐古的なアール・ヌーヴォーや当時流行した異国趣味と融合し、西洋社会に熱狂的に受け入れられました。このジャポニズム、実はスチームパンク世界にでもじわじわと浸透しているんですよ。
ジャパニーズスチームパンク・Natsukoさん
日本においてジャパニーズスチームパンクの草分けと言えば、みなさんご存知Natsukoさん(@NatsukoCoral)です。長い黒髪に、きりりと涼し気な目元の和風美人。着物やお面など日本独自の服飾・装飾品を積極的に取り入れて、独特な日本美を表現されています。海外のネットニュースでも度々写真が採用される、日本を代表とするスチームパンカーです。
日本の芸術をスチームパンクに
シルクハットにフロックコート、ロングドレスにブーツは確かに素敵。でも日本人の体型にぴったり合う着物をファッションに取り入れてみてはいかがでしょう。鼈甲、塗り物、螺鈿、寄せ木、張り子──日本の工芸技法を利用した工作も面白いですね。
海外スチームパンカーも日本に注目
このジャポニズムの流れ、決して日本だけではありません。海外のスチームパンカーも、着物をガウンがわりに羽織ってみたり、和傘や扇子を小物に使ったりと、ジャパニーズスチームパンクを楽しまれている方は多いようです。
試しに”Japanese Steampunk kimono”などのキーワードで画像検索してみてください。日本人では思いつかないような斬新なファッションをされている方々をたくさん見ることができます。
英国スチームパンク作家・Janeさんの着物スタイル
こちらは私の友人であり、英国オックスフォードでスチームパンク小説を執筆されているJane Yates 慈円(@JYparadoxchild)さん。以前Janeさんの記事にも書きましたが、彼女は小説の中に日本のモチーフを登場させるほどの、日本好き・日本通です。
JaneさんもKimonoが大好き。こんな風にオックスフォードの街を着物スチームパンクファッションで闊歩されています。着物をブラウス風に着こなしていらっしゃいますね。帯がわりのコルセットも決まっています。
ネオジャポニズムをあなたのアートに
19世紀末に起った芸術ムーブメント・ジャポニズムが21世紀にもまた新たな「ネオ・ジャポニズム」となって流行したらすごくワクワクしませんか? そのためにも私達日本人が積極的に、日本の絵画、工芸、文化を学んでスチームパンクと融合させていく必要があります。あなたのファッションや工作にぜひネオ・ジャポニズムを組み込んでみましょう。
ぜひネットや書籍で調べてみましょう
以上、アーツ・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォー、ジャポニズムをざっと解説してみました。
でもこれはほんのさわりにすぎません。「これ面白そう!」と直感に訴えるアートがあったら、ぜひネットで検索してみたり、関連の書籍を読んでみましょう。スチームパンクファッションを楽しんだり、スチームパンクグッズの制作、スチームパンク小説の執筆などにきっと役立ちますよ。【蒸気夫人(マダムスチーム)】
追記:Janeさんより 2016年09月02日
記事を翻訳して読んでくださったJaneさんから、こんな情報をいただきました!
John Ruskin lived in Oxford, there is still a collage today John Ruskin school of art. I did a short art course there. John Ruskin also was a friend of Lewis Carol, who wrote Alice in wonderland and who introduced Carol to the publisher who published the book. The book was first printed in Oxford, in the university press. I will show you when you come and visit on day. lots of John Ruskins art is in the Ashmolean museum in Oxford.
アーツ・アンド・クラフツ運動のジョン・ラスキンはオックスフォードととても縁が深い方だったんですね。ルイス・キャロルとのつながりも興味深いです。そしてそんなオックスフォードに住むJaneさんが、日本文化好きというのも面白いご縁だなあとつくづく思いました! Thanks Jane慈円!
参考文献
週末に読む本。先週から19世紀末〜20世紀初頭にかけての西洋デザイン史について勉強してます。来週のスチームパンク大百科Sで、スチームパンクに必要なデザインの豆知識についてまとめる予定。あと10冊ほど読みまっす。いえー! pic.twitter.com/w3iCwNq0SW
— 五十嵐 麻理 Mari Igarashi (@IgarashiMari) 26 August 2016
たくさんの本を読みましたが、もし一冊だけすごく分かりやすい本をあげるとしたら『絵ときデザイン史』が良いかも。見開き1ページで一つのキーワードを解説しています。