リリエンタールグライダー・ドイツ滑空王リリエンタールの空を飛ぶ夢

Lilienthal
空を飛ぶことはかつて人類の夢でした。揚力によるグライダー飛行に成功したオットー・リリエンタール、そして彼の発明品であるリリエンタールグライダーについて解説します。

ドイツの滑空王・リリエンタール

前回の記事のアニメ『R.O.D』にも登場した、オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal 1848~1896)。「ドイツの滑空王」と呼ばれたリリエンタールは、ハンググライダーを開発して自ら飛んだ航空界の先駆者です。プロシアのアンクラムに生まれ、ベルリンにおいて機械工場の経営で成功した後、独学で飛行の研究を始めました。

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『飛行術の基礎となる鳥の飛翔』

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彼がお手本にしたのは鳥。鳥を徹底的に観察して、鳥のように滑空する方法を研究しました。1889年に出版した『飛行術の基礎となる鳥の飛翔(Der Vogelflug als Grundlage der Fliegekunst ※日本では書名『鳥の飛翔』として2006年に本邦初出版)』では、コウノトリの飛翔研究から、平面よりもアーチ型の曲面の翼が飛行における重大な要素であると述べています。これは現代でも航空学において大変重要な資料となっています。

はばたきより滑空

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彼の飛行の発想が画期的だったのははばたきを捨て滑空にしぼったことです。それまでも数多くの先人が空を飛ぶことを夢見ましたが、翼を羽ばたかせることにこだわっていたために失敗してきました。はばたくための動力やエネルギーロスを考慮しなくてはならなかったからです。リリエンタールは羽ばたかず滑空する鳥に注目したことが成功につながったんですね。

人造丘で飛行実験

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論文を出版した1889年からはリリエンタールはグライダーの制作を始めました。失敗をくり返しながらもグライダーに改良を加え飛行実験を続けました。

1894年には飛行のために自分の工場のあるリヒターフュルデに人造の丘まで築いてしまったほどです。将来的にはベルリンに飛行遊戯場を建設し、一般の人がグライダーをスポーツとして楽しめる施設にしたいと考えていたようですよ。

ハング式グライダー

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でもこのグライダー、慣れるのにはかなりの練習が必要です。リリエンタールのグライダーはハング式で、飛行家は機体に上腕でぶら下がる形でつかまり、肩と上腕で自分の全体重を支えなければなりません。その上で下半身を前後左右に振って方向を制御するのです。

操縦するのは難しい

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もし機体が右に傾いたときには、下半身を左側に振って水平にしなくてはなりません。しかし本能的には右に傾いた場合、右へ足を振って踏ん張りたくなるものなんです。刻一刻と変化する風を読み、本能的な反射運動を理性で押さえつつ身体をコントロールするのは難しいものです。

2000回以上の飛行実験

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しかも機体の重量は約20キロ。片側の翼だけで3メートルもあります。飛び立つ前に翼を水平に保つだけでも一苦労です。リリエンタールはかなり筋力があって運動神経も良かったんですね。2000回以上も飛行実験をし、300メートルも飛んだことがあったようです。

ちなみに現代のハンググライダーは重さ20キロ~30キロ。ストラップで完全にぶら下がる形なので体重移動も楽で操縦もしやすいですね。

1894「Storm Wing Model」

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リリエンタールは様々なタイプのグライダーをデザインしています。ドイツの「リリエンタール博物館」のサイトには、いろんなタイプのグライダーの写真が載っていますよ。まさに鳥そのものの形(『R.O.D』ではこれに蒸気エンジンを搭載してましたね)から複葉機まで。

飛行実験の怪我で亡くなる

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リリエンタールは1896年に飛行実験中に墜落し、脊椎を折ってなくなりました。48歳でした。彼は炭酸ガス圧を使った動力飛行機の研究もしましたが、滑空距離を伸ばすために使おうとしたと言われています。生涯滑空による飛行にこだわった人だったんですね。「滑空王」の名は伊達じゃありません。

誰が世界で最初に空を飛んだのか?

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ところでリリエンタールが「世界で最初に空を飛んだ人(気球を除く)」かというと、実はそうとも言い切れないのです。日本の浮田幸吉(1757~1847)が、1785年に竹・紙・布によるグライダーで飛んでいますし、琉球王国の飛び安里(とびあさと)が1780年ごろにオーニソプター(羽ばたき型飛行機)で空を飛んだと言われます。

ライト兄弟よりも早かった二宮忠八

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あ、それからライト兄弟よりも早く動力飛行機の設計をした二宮忠八(1866~1936年)も忘れちゃいけませんよね。二宮忠八については拙サイト「日本珍スポット100景」の記事をぜひご覧ください。

ライト兄弟よりも早かった飛行機の発明「飛行神社」【京都】
ライト兄弟より16年も早く有人飛行機を設計していた日本人のことをご存じですか? 彼の名は二宮忠八。京都府八幡市の飛行神社は二宮忠八が建立した、日本唯一の航空関係の神社です。

今回は女性飛行家になってみた

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「誰が世界で最初に空を飛んだのか」は諸説分かれるところですのでまた別の機会にでもどこかで書きたいと思います。今回はスチームパンカー兼女性飛行家として登場してみました。空を飛ぶのってとっても気持ち良いですよね☆ いつか蒸気エンジンつきのスチームパンクグライダーを作れたらいいなあー!【蒸気夫人(マダムスチーム)】

当記事の画像は著作権保護期間を満了したパブリックドメイン写真を使用しています。

参考文献

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