バーティツとは19世紀末にイギリスで編み出されたマーシャルアーツ(護身術・格闘術)です。紳士と淑女のための護身術バーティツを解説するとともにホームズと「バリツ」の謎にも迫ります!
バーティツ講座を受講してきました!
先日私は東京で開催されたバーティツ講座を受講してきました。先生は西洋殺陣教室ソードアカデミージャパンの新美智士(にいみさとし)先生です。
新美先生はバーティツの第一人者であるだけでなく、舞台・テレビなどでヨーロッパの戦闘術の技術指導や演出をされています。バーティツを日本で教えられるのは、おそらく新美智士先生ただ一人だと思います。
バーティツの歴史
ところであなたはバーティツって知ってますか? バーティツは19世紀末、1898年に英国人のエドワード・ウィリアム・バートン=ライトが開発した護身術・格闘術です。
バーティツの「バー」はバートン=ライトのBart。「ィツ」とは柔術(Jyu-Jyutsu)のitsuを組み合わせてバーティツと名付けました。
バートン=ライトは1860年に当時イギリス領だったインドで生まれました。成人してからは一家でイギリスに戻って大学を卒業し、土木技師・測量士になりました。
バートン=ライト柔道に出会う
技術者という職業柄、エジプト、ポルトガルなど世界各地を転々として働いていたのですが、1895年──彼が30代半ばの時に神戸で技術者として働きはじめました。
バートン=ライトは日本で神傳不動流と講道館流の2つの流派の柔道を習得しました。講道館は柔道の神様・柔道の父とも呼ばれる嘉納治五郎が明治時代に創設した流派です。
その後バートン=ライトはイギリスに帰国して、1898年に柔道を元に護身術を編み出しました。ただ柔道に限らず、英国のボクシングやスイス、フランスの格闘技も取り入れて、総合的な格闘技として発展しました。これがバーティツの起源です。
バートン=ライトのバーティツ学校について
紳士が道で暴漢に襲われた時を想定して、主に敵を撃退する方法、身を守る方法をロンドンの学校で教えました。生徒は主に裕福な中産階級の人々。軍人・兵士が多かったようです。
ただ残念ながらバートン=ライトのバーティツ学校は1902年の中頃には閉鎖してしまったようです。どうも入会金や授業料が高すぎたことが原因ではないかと言われています。
もしバーティツがもっと英国で繁栄していたら。本場の日本でも格闘技の一つとして広まって、テレビの特番でバーティツの試合を見られたかもしれません。
バーティツはどんな格闘技か?
バーティツはこの写真が有名なので、ステッキや傘で戦うイメージがありますよね。でもバーティツの専門書を読むと、ステッキや傘だけではないことが分かります。素手で相手を投げ飛ばしたり、着ているマントやジャケットで防御する技も書かれているんです。
バーティツはとにかく「実践的」です。紳士が華麗に舞い踊るような部分も確かにあるんですが、実際に習ったり本を読んでみると、実践的に身を守るための武術だと思いました。
極めて実践的──だけどやりすぎ?
というか……ちょっとそれやりすぎじゃない?的なことも書いてあるんですよ。「なんなら首を締めて窒息させましょう」とか「やりたければ、敵の足を折ってください」と書いてあります。
でもその一方で「格闘の際には服がダメにならないように、2枚の滑りやすいハンカを肩に置いてください」とも書いてありまして、なるほど紳士の格闘技だなと思いました。
淑女にもおすすめ!バーティツ
そうそう。紳士──と申しましたが、当時の女性もバーティツを習っていました。バーティツは男性限定の格闘技ではありません。
19世紀末から20世紀初頭には、男女問わず柔術(Jyu-Jyutsu)を教える学校がロンドン中にたくさんあったと言われています。
例えば女性の柔術師範エディス・ガルド彼女が教える柔道・護身術の教室も人気だったそうです。ヴィクトリアンドレス姿のエディス・ガルドが大柄の警官に関節技をかけているところです。
また「女性に参政権を与えろ!」と主張する女性が、男性を柔道でバッタバッタと投げ飛ばしている風刺画も描かれました。それぐらい一般に女性の習い事として普及していたんですね。
女性の戦い方はこう!
女性の場合はステッキではなくて傘を使います。ご婦人は普段日傘を持っていますから「傘で顔を狙ってボコれ!」と書いてあります。
そして「膝に素早くキックをかますべし!」とあります。ドレスでハイキックは無理なんですが、膝ならロングドレスでも大丈夫です。
また女性向けの手軽な護身術として「自転車に乗っている時に襲われたらピストル型の水鉄砲で目潰ししましょう!」とも書いてありました。女性も容赦なしですね。
バーティツ講座の受講生は女性ばかり!?
バーティツ講座を受講してみると、生徒さんはお一人以外全員女性でした。まさに「柔よく剛を制す」の通り、非力な女性でも敵を倒せる技をたくさん教えていただきましたよ。バーティツは男性のイメージが強いかもしれませんが、ぜひ女性の皆さんにもお勧めしたいです。
ホームズの「バリツ」とは何か
シャーロック・ホームズは『最後の事件』という物語において、スイスのライヘンバッハの滝で宿敵モリアーティ教授と戦って滝壺に落ちて亡くなった──とワトソン博士は書いています。
でもその次の『空き家の冒険』で、実はホームズは滝で転落死しておらず、生きていたことが分かります。それは日本の「バリツ」の心得があったからだと、後ほどホームズ自身が語っています。
70年前からシャーロキアンの議題に
問題はこの「日本のバリツ」とは何なのか──とシャーロキアンの間で長く議論になっていることです。
たとえば日本で最初のシャーロック・ホームズ団体である「東京バリツ支部」というものがあります。1948年、今から70年以上も前に設立されて初期メンバーに江戸川乱歩がいます。
初会合で話し合われた議題はなんと『バリツの起源』。そんな昔から、ああでもないこうでもないとホームズマニアは議論してるんですね。以下いくつかの説をご紹介します。
①バリツ=バーティツ説
一つ目。バートン=ライトのバーティツ説です。著者のコナン・ドイルが『空き家の冒険』を書いたのが1903年です。バートン=ライトがバーティツを開発してロンドンで道場を開いたのが1898年。当然ドイルはバーティツを知っているはずです。
エキゾチックな格闘技バーティツを、ドイルが小説の中に取り入れたというのは、割と信憑性のある説です。しかもライヘンバッハの滝で、ホームズが登山に使っていたステッキが発見されているんですね。
ステッキを使った戦闘ならバーティツです。バーティツ説、結構説得力あるでしょう?
バーティツ説の問題点
ただ一つ問題があります。それはライヘンバッハの死闘が行われたのが1891年だということなんです。バートンライトが日本に来たのは1895年です。
つまり、まだ「バーティツ」なる格闘技は、モリアーティー教授との戦いの時に存在してなかったのです。
これ大問題でしょう? え……細かい……とか言われそうですが、シャーロキアンは年代について異常に執着する特殊性癖があるんですね。
単にコナン・ドイルがちゃんと時代考証してなかっただけ、うっかりミスで書いちゃっただけかもしれませんが、こだわりの強いホームズマニアはバーティツ説に異論を唱えているわけです。
②バリツ=柔道説
バリツ=柔道説。柔術(Jyu-jyutu)を間違ってバリツと表記したという説です。この説はかなり有力かもしれません。というのも柔道の神様・嘉納治五郎が、明治23年(1890年)に欧州旅行をしてるからです。その時ロンドンも訪れています。
だから嘉納治五郎にホームズが会っていた──ひょっとしたら嘉納治五郎に直接柔道を習っていたという可能性があります。その場合はホームズはモリアーティーを、巴投げで滝壺に投げ飛ばしていたのかもしれません。
これが一番年代の矛盾もないし、個人的には一番納得できるんじゃないかなあと思っています。ただ「柔術(Jyu-jyutu)・柔道(Jyu-do)」という言葉と「バリツ(Baritsu)」という発音はちょっと離れすぎていないか?──という致命的な欠点があります。
③江戸時代の武道説
柔道ではなくその元となった江戸時代の武道説です。根拠は『グロリア・スコット号』という短編です。ホームズが学生の時に解決した最初の事件ですね。
若き日のホームズは友人の家に招待された時に、そこにあった日本のタンスに気づいています。韓国でも、中国でもなく、日本。ホームズは日本製のタンスだと見分けています。
これは西洋人にとってはとても難しいことです。ましてや現代よりも情報のない19世紀ですからね。そこで彼は学生時代に明治政府が英国に送り出した武士階級の日本人と会う機会があり、武術の手ほどきを受けたのではないかと──だから日本文化に詳しいのでは?という説が出てきました。
政府の人間マイクロフトのツテ?
マイクロフト・ホームズは政府筋の人間です。だから弟のシャーロックがロンドンを訪れていた武術の心得がある日本人と会っていたとしてもそれほどおかしくありませんね。
他にも「ホームズ日本留学説」「バリツ=相撲説」などいろいろあります。あなたはバリツとは何だったと思いますか?
意外に肉体派のホームズ
ホームズは強靭な体力の持ち主で、曲がった火かき棒をまっすぐに伸ばしたり、2m近い塀をひらりと乗り越えたり、棒術やフェンシングも得意でした。もともと天才的なスポーツの素養があるので、柔術やバーティツも短期間で習得できたんじゃないかと思っています。
ドラマ『SHERLOCK』でも柔道の免状が!
ドラマ『SHERLOCK』でもシャーロックの寝室の壁に、日本語で書かれた柔道の免状が貼ってあります。ただ昭和40年と書いてありますし、日本人からするとなんだかヘンテコな免状ですから、これは単なるインテリアかもしれません。
ホームズのボクシング
ホームズのボクシングはプロのボクサーと互角に戦えるほどの腕前だったと言われています。ただ当時のボクシングの構えは、現代のものとは違います。19世紀のボクシングの構えは常に拳を回して、相手の視線をひきつけておいて不意打ちで叩き込む戦法です。
私は子供の頃からシャーロック・ホームズに憧れていたので、若い頃キックボクシングを習っていました。謎の武術バリツも習いたかったんですが、当時は教えてくれるところがありませんでした。
でも今回はバーティツだけでなく、古式ボクシングの指導も新美先生から受けることができました。子供の頃からの夢が叶って本当に嬉しかったです!
おまけのおしゃべり「AIおそるべし!」
この間TwitterのDMでこんなおたよりをいただきました。
以下AIの回答です。五十嵐麻理というのは私の名前です。だいたい合ってます。AIすごいですね。
五十嵐麻理は、日本のスチームパンク文化の発展に尽力してきた日本人アーティスト兼デザイナーです。 五十嵐さんは、スチームパンクの要素と日本の伝統工芸を融合させた手の込んだ手作りの作品で知られています。
五十嵐の最も有名な作品の 1 つは、「飛行船アタランタ」です。この飛行船は、スチーム パンクに着想を得て、五十嵐がすべて手作業で設計および製造したものです。 アタランタは、五十嵐の職人技と細部へのこだわりの見事な例であり、木製のフレーム、手縫いの革のアクセント、真鍮の金具が特徴です。
飛行船に加えて、五十嵐はジュエリー、アクセサリー、衣類など、スチームパンクにインスパイアされた幅広い作品を制作しています。彼女のデザインには、和紙や着物生地などの伝統的な日本の工芸品の要素が組み込まれていることが多く、独特の文化的な風味を与えています。
五十嵐はまた、日本でのスチームパンクのイベントや展示会の組織化にも関与しており、このジャンルを促進し、世界中のアーティストやファンを集めるのに役立っています. 五十嵐は仕事と擁護を通じて、日本のスチームパンク文化の成長と進化に重要な役割を果たし、新しい世代のアーティストやデザイナーにビクトリア朝の美学と日本の伝統工芸の交差点を探求するよう促しました。
飛行船アタランタ!?
でもちょっと待って? 飛行船アタランタ……?
私は黒留袖で作った燕尾服や、日本の伝統工芸である螺鈿調のデザインを工作に取り入れたりしています。日本文化を元にしたジャパニーズスチームパンクを広めたいと思っているので、これは正解……なんですが「飛行船アタランタ」が気になったので、私もChatGPTに聞いてみました。
スチームパンクアニメ映画「飛行船アタランタ」!?
大塚康生さんは『未来少年コナン』や『カリオストロの城』を手掛けた名作画監督です。GONZOも実在するアニメーション制作会社です。でも『飛行船アタランタ』なんて作ってませんよね?
アニメ映画の内容も書いてあるんですが、これも全部大嘘です! いかにもありそうなスチームパンク物語なのでうっかり信じちゃいそうです。
AIのハルシネーションに要注意!
AIは素晴らしいテクノロジーだとは思います。でも質問の仕方によっては全然違うこと言いますから、全面的には信じないほうがいいのかもしれません。
まあでも、いつか本当に「飛行船アタランタ」が私の代表作になるかもしれませんので、完全否定はしないことにして、いろんな空想を楽しもうと思いました。楽しいDMをありがとうございました!
【蒸気夫人(マダムスチーム)】
追記(2023年4月4日)
ソードアカデミージャパン西洋殺陣教室で、2023年4月29日(土・祝)に「英国紳士の護身術(バーティツ)」クラスが開催されます!
19世紀末の格闘技・護身術を習える絶好の機会ですので、ぜひ皆様ご参加くださいませ!