世界で最も有名なマジシャンと言えば、ハリー・フーディーニでしょう。死後90年が経ってもその名声・認知度ともにNo1。今回は19世紀末に活躍した天才奇術師についてのお話です。
ショウマンシップの秘密は、実際に演者がやってみせたことにあるのではなく、好奇心に満ちあふれた観客に、演者が本当にやったのだと思い込ませるところにある。
日本の脱出王・引田天功
お若い方はもう引田天功(ひきたてんこう)の名をご存じないかもしれませんね。一世を風靡したマジシャン・プリンセステンコーの師匠です。引田天功が得意とした出し物は脱出マジックでした。
ある時はヘリコプターから落とされ、ある時は地中に埋められ、またある時は滝から落とされ──観客は手に汗握るのですが、彼はいつの間にかそこから抜け出してニコニコしながら手を振るのでした。
脱出マジックの元祖・ハリー・フーディーニ
引田天功が得意とした脱出マジックですが、そもそも「エスケープ(脱出)マジック」というジャンルを作ったのは、アメリカが産んだ天才奇術師・ハリー・フーディーニ (Harry Houdini:1874-1926) です。アメリカでマジシャンと言えば、現代でもフーディーニが代名詞となっているほどの有名人なんですよ。
どんなところも楽々脱出
フーディーニは警官の見守る中、手首足首を縛られ厳重な監獄に放り込まれても、手錠をはめられ箱詰めにされて凍るようなハドソン川に投げ込まれても、わずか数分で楽々と脱出してしまうのでした。
間一髪!列車からの大脱出
ある時など、列車が通過する線路にしばりつけられて、もう少しで轢かれるというところで縄をほどいて線路から転がり落ちました。もちろんこれは単なる演出で、観客をドキドキさせるためにわざと手こずる演技をしたんですね。
脱出王・ハリー・フーディーニ
観客はフーディーニが今度こそ死んでしまうのではとハラハラしながらしながらも、残酷な興奮に酔いしれました。フーディーニのショウはいつも満員御礼。彼は彼は脱出王(The Handcuff King)と呼ばれ、各地でたいへんな人気を博していました。
フーディーニとコナン・ドイル
フーディーニのショウは不思議に満ちていました。しかし彼自身は心霊現象には否定的でした。現代では心霊現象のウソを暴く人をサイキックハンターと言いますが、フーディーニはその草分けでもあります。
彼はシャーロック・ホームズ物語で有名な作家・アーサー・コナン・ドイルと友人でしたが、心霊現象について意見の相違がありました。

交霊会をきっかけに袂を分かつ
ある時フーディーニを降霊会に招待したドイルは、フーディーニの母親の霊を呼び出しました。しかしこの霊は真っ赤な偽者だったため、以後彼らは絶縁してフーディーニは心霊現象を激しく否定するようになりました。(その後ドイルはコティングリー妖精事件のスキャンダルに巻き込まれます)

マジックとは観客が望む夢をみさせること
冒頭に書いた彼の言葉のように、マジックとは「観客が望む夢を見させてあげる」ことなのです。だからこそ彼はちゃちな霊媒師に怒り、片っ端から心霊現象のウソを告発し続けたのでしょう。彼の望むものは完璧な夢でした。
アメリカ人だと言い続けたユダヤ人
フーディーニはずっとアメリカ人だと主張していましたが、実際はハンガリーのブタペスト生まれのユダヤ人で、本名はエーリッヒ・ワイスと言いました。彼の父親が殺人犯であったためそのことを隠そうとしていたという説もあります。
夢を見たかったのはいったい誰だったのか
結局一番夢を見たかったのはフーディーニ自身だったもしれません。現実の自分を否定し、ウソをつき続け、多くの観客の度肝を抜き、きらめく舞台で必死の脱出劇を演じてきたのです。彼は観客に夢を提供することを願い、夢の中で生き、その夢が原因で亡くなりました。
学生に腹を殴りつけられて死亡
1952年に制作された『魔術の恋』では、フーディーニが水中からの脱出マジックに失敗して死んだことになっていますが、これは実話ではありません。
1926年10月31日のハロウィーンの夜に、楽屋で学生が彼の腹を思いっきり殴りつけたことから、急性盲腸炎になって亡くなったのです。彼は普段から不死身であると自慢していたのですが、その学生は彼が死なないと本気で信じ込んでいたからでした。
死の足かせから脱出しよみがえってくる
彼の最後の言葉は「自分は死の足かせからも脱出し、よみがえってくる」というものでしたが、未だに帰ってこないのは天国でもきっと天才マジシャンとして観客に引っ張りだこだからでしょうね。【蒸気夫人(マダムスチーム)】
関連商品・参考文献
The American Experience | Houdini(リンク切れ)- Harry Houdini – Wikipedia, the free encyclopedia