明治時代に伝わった洋傘。でも異国の傘をさして道を歩けば、攘夷論者に切られると言われていました。ヴィクトリア朝の傘と日本に渡った傘の歴史について。クラシカルな傘のすゝめです。
西洋の傘の普及は明治以降
傘は6世紀中頃に百済から日本に伝わって以来、長い歴史を持っています。最初は公家の儀式用として使われましたが、江戸時代には蛇の目傘と言われる和傘が広く普及しました。洋傘が一般に使われるようになったのは明治以降。オランダやイギリスから洋傘の輸入が始まりました。
福沢諭吉の見た洋傘
福澤諭吉(片山淳之助)は著書『西洋衣食住』(1867)に
傘は何れも絹布にて張り日本の如き紙張のものなし斯く傘を畳みしときは杖の代りに用ゆべし[傘 ヲムブレラ]
と書いています。「傘はどれもシルクが使われていて、日本のような紙張りの傘はない。傘をたたんでいる時には杖の代わりに使う」とあります。当時西洋ではステッキの代わりに傘を持ち歩くのが流行っていました。
英国紳士は傘が良く似合う
英国紳士というと傘が似合うイメージがあるかもしれませんが、実は傘を持つスタイルは、ヴィクトリア朝の新興紳士たちの出現とともに始まった流行です。ヴィクトリア時代以前のブルジョア階級の紳士たちにとっては、傘はあまりイケてないファッションアイテムと見られていました。
傘=馬車を持っていない人?
というのも、傘を持っているということは「外を歩く必要がある人」ということになり、すなわち「馬車を持ってない人」を意味したからです。貴族の必需品は馬車ですからね。ヴィクトリア朝以前の紳士が手にしていたのは傘ではなくステッキでした。
産業革命後の傘と英国紳士
しかし商業が発達して中流階級の人々にも資産家が出現し、紳士的な生活様式を真似る人々が多くなると、傘を持つ人も増えてきました。彼らは馬車は所有していませんでしたが、ステッキに見えるような細身に巻いた傘を持つことでダンディを気取ったのです。それからは傘は英国紳士に必須のアクセサリーになったのでした。
傘をさしたら命をねらわれる
一方日本。洋傘が伝わった最初の頃は傘をさすのも命がけだったみたいです。1868年の『新聞街談』には、洋傘(コウモリ傘)をさしていた武士が「異国傘をさした異人がとおる」とはやされて喧嘩になり、結果首をはねられてさらし首になった事件が載っています。
福沢諭吉も『福翁自伝』に「蝙蝠傘などさして江戸の街を歩いたらいくつ命があっても攘夷論者に狙われる」と仲間内で話したエピソードを載せています(「洋傘タイムズ」)。
なんと傘禁止令も
1870年には傘を刀と間違えることが多いと、大阪で「百姓町人の蝙蝠傘禁止令」が発令されました。当時は西洋の傘をさしているだけで、不愉快に思う人も多かったんですね。洋傘が本格的に普及するのは、1870年代後半に国産品の洋傘が登場するのを待たねばなりません。
毎年1億本が捨てられる傘
150年前には雨が振ってもさすのがもったいなくて閉じたまま持ち歩いた──という笑い話が残っているほど値段の高かった傘。しかし1970年代にビニール傘が作られるようになってからは、傘はポイ捨てされるような消耗品になってしまいました。
日本人は1年に1本の傘を使い捨てている!?
ビニール傘は分解して捨てることが困難なので、そのまま埋立処分されることが多いのです。日本の傘の消費量は年間1億2〜3000万本。9割がビニール傘です。1人が1年に1本傘を捨ている計算になります。買う方も売る方も、傘について考え直す時期がきているのではないでしょうか。
傘のプロ・アンブレラ・マスター
日本洋傘振興協議会ではアンブレラ・マスターという、傘のスペシャリストの資格認定制度を設けています。洋傘専門店のプロが傘の製造技術や修理技術などを身につけるための資格です。何本も使い捨てするぐらいなら、多少お値段がはっても気に入った傘を大事に使い続けた方が良いですよね。こういった傘のプロが増えるのは頼もしいことです。
ヴィクトリアンなパゴダ傘はいかが?
私が使っているのは、ルミエーブルの「bonbon」というヴィクトリアンなパゴダ傘です。憂鬱な雨の日もこの傘をさせば気持ちが弾みます。他にもパゴダ型のアンブレラや甘いレースとフリルのパラソル(日傘)を売っています。雨の日もレトロファッションに身を包む女性スチームパンカーにお勧めです。
サムライの魂を持つあなたに
男性には日本刀みたいなサムライアンブレラなんて面白い傘がありますよ。ハンドル部分が、刀の柄(つか)になっている日本刀傘。ショルダーケースで背中に背負えるようになってます。外国の方がおみやげに買っていきそう。でも江戸の街を歩いていたら、これこそ尊皇攘夷派に叩っ斬られてしまうかもしれませんね。【蒸気夫人(マダムスチーム)】